誰そ彼のとき

第4部 妻の日記

超高齢社会の「老い」の現実を描く連載「のとき」。


第4部「妻の日記」(7月5~10日掲載)では、精神科病院に入院した認知症の夫(84)と、懸命に支える妻(78)の姿を取材した。


今回の特集では、連載で一部しか掲載できなかった妻の日記を詳報する。

妻の日記 2012-2024

2012.1.1~2021.3.17

認知症と診断されて

 2010年に認知症と診断された夫は、医師に勧められて日記をつけるようになった。12年に使い出した「3年日記」の1ページ目は、何げない日常の記述から始まる。


――昨夜から娘一家がそろって泊まりに来ている。早朝から1階でさわいでいる (12年1月1日)


 夫は4日続けた後に「書きにくい」と言い、妻がその3年日記を引き継いだ。


――病院で(夫の)血液検査のため7時20分には家を出る。検査結果は良好。問題なし (同5日)


 最初の数年は夫婦の穏やかな日々が続く。


――しょうゆ、砂糖、だし汁、みりんを煮詰めて、たつくりをあえる。お父さんついついつまむ。正月までもたないかもしれない (16年12月30日)


 18年の日記から、夫の異変が現れる。外出したまま家に帰れないことも。


――3時間たっても帰って来ない。携帯も持っていってない。連絡とれない。110番に救急搬送してないか尋ねる。行方不明騒ぎ。見つけてもらい、パトカーで送られてきた (18年8月21日)


 妻は新車を購入したが、夫は運転免許の返納を決める。


――お父さんには鍵を渡していない。もう運転免許返納するのだから、なまじ未練を残さない方が良いだろう (19年7月21日)


 夫にさまざまな症状が出始め、2人の暮らしが心配になり始める。


――大きめな声でけなすことが最近増えた。だんだん人格が変わってきつつあるのだろうか (11月3日)

――困ったことにお父さん冷蔵庫、インターホン、電話などのコンセントを切っていた。冷蔵庫の灯(あか)り、ブーンという音、側面の熱気に心動くらしい (20年9月27日)

――最近特に風呂に入らないとガンコになってきた。昼に入ったからいいとかうそを強弁する。今後の生活がやっていけるのか不安になる (12月21日)


 このころ、夫婦は旅行に出かける。


――GO TO TRAVELで京都日帰りを予約する。今回で最後かもしれない (10月12日)

――タクシーに2人で乗って、二条城、北野天満宮、銀閣寺を巡る。全て満足 (12月3日)


 長く通っていた大学病院の医師が休診し、夫は別の医師を受診する。そこで、反社会的行動が伴う「前頭側頭型認知症」だと告げられる。妻は診断にショックを受けるが、この病気について調べ始めた。


――前頭側頭型認知症の父を介護したという弁護士の事務所にTELして、本を送ってもらう (21年3月17日)

2021.5.29~2022.2.26

デイ・ショートステイ

 夫は2021年から医師の勧めでデイサービスを利用する。だが、なかなか施設になじめず、妻に何度も電話をかけてくる。


――運動などこなしたけど、落ち着かずウロウロ。マンツーマン対応が必要となったとか。前途多難だ (21年5月29日)

――今日は34回ほどTELかかってきた。一言二言かわして、そこにいるようにと。納得して切るけど、またすぐかかってくる。私も疲れてしまう (7月7日)


 自宅でも問題行動が増え、妻も追い込まれていく。


――オリンピックの閉会式をテレビで見ようとしたら、「閉会式なんか見る必要ない」と言ってテレビを消し、コンセントも抜く。頭にきて、家を飛び出して、コンビニで買い物して気を静める。今後どうしようか (8月8日)


 年が明けた22年の元日。正月らしい一コマをつづった日記に夫への気遣いがにじむ。


――お父さん今年はお餅食べれたけど、今後小さくしたりとかのどに詰まらせないような工夫が必要になるかもしれない (22年1月1日)


 このころ、夫は近くの道路で通る車に身ぶり手ぶりで「交通整理」のようなしぐさをするようになった。


――お父さんの問題行動が朝からずーっと、道路で通行車両が2台停(と)まっている。その目先でお父さんが手を横にしたりして行くように促している (同9日)


 警察も駆けつけるようになり、妻はケアマネジャーに相談。夫は短期入所施設(ショートステイ)に入ることになったが、すぐに問題行動が起きる。


――ケアマネから「ショートステイを断られた。退所してほしい」とTEL。お父さん夜はいいけど、日中他の人の部屋に入ってベッドで寝たり、人の物を使ったり、ショートステイでは人手足りず無理という (同17日)


 施設側の要望で飲み薬を増やせないかと地元のかかりつけ医に相談した。


――先生は、薬はこれ以上は出せないし、朝のむのも危険です。限界です。これ以上してあげられないから申し訳ない (同25日)


 妻と一緒にいる時も夫の問題行動はエスカレートする。


――長女の言うように認知症と言うよりも「脳の障害に近い」というのが当たっている。信号は無視するように言い張るし、買い物ではレジの前に自分のバッグに入れようとする。昨夜はついにゴミ箱の中に小水を何回もしたらしい (同31日)

――「私と結婚して良かったかね」と聞くと「良かったよ」と答えるけど、私の言うことを聞いてくれない (2月15日)


 やがて、施設でも自宅でも夫をみることができなくなった。


――他の人への迷惑行為が多くなってきたからショートステイはダメ。特養も今のままでは受け入れてくれない。入院しかなさそう (同24日)

――デイサービスに迎えに行く。今日はドアを締めて指を挟まないよう止めさせようとしたスタッフを突き飛ばしたみたいで、もう限界だわ。動きが粗暴になりつつあると思うから (同26日)

2022.3.2~2022.7.5

思わぬ長い入院

 夫は2022年3月2日に精神科病院に入院する。当日の日記は枠内に収まらず、メモ用紙を使って書き足した。


――診察を嫌がって説得しているうちに暴言、大声、暴力になる。別室へ保護入院になってしまった。泣く泣く仕方ない入院、人格が変わってしまって病気にのっとられたと思うしかない。今頃夜中1時になるけど、どうしているのだろう。本当にこれまでは一生懸命、家族のために、家族を守ってきてくれたのに。今までありがとう。病気がにくい (22年3月2日)


 入院した夫を心配していたこのころの日記には、妻の不安や混乱が色濃くにじむ。


――お父さんのこと思うと涙が止まらなくなる。どこに相談したらいいのだろう。お父さんのことがいつも去来するけど、どうしようもない。家族を忘れた方が穏やかに過ごせるのか (同13日)

――時々お父さんのことを思い出すと涙が出てくる。気持ちの持っていきようがない。普通の入院なら、携帯を持ち込んで連絡とり合えるのに。認知症ではコミュニケーションが困難になっていくのだから、予行演習といえるのだろうか (同24日)

――お父さんがいない間に家事はかどらせればよいのは、頭ではわかっていても、はかどらない (同27日)


 夫の状態が安定してくると、妻も冷静さを取り戻した。病院への感謝もつづった。


――冷蔵庫内の食品がまだまだ残っている。一人では減り方が全く少ない。いかにお父さんがたくさん食べていたのかを実感する (4月2日)

――今年1月からの日記を読み返していた。大変な状況が続いていたことを実感する。最悪な状態で入院やむなかったし、今穏やかに過ごしていることに感謝 (5月13日)

――TELする。お父さん意外に会話できる。「家には帰りたいよ」と言う。もう少しで退院できるから、それまで辛抱してねと伝える (6月14日)


 退院の日。病院には変わり果てた夫の姿があった。


――劇的な再会を夢みていたのに、やせこけてよたよたと支えてもらいかろうじて歩く姿にショックを受けて、涙があふれてしまった。4カ月の間に廃人一歩手前になって戻ってくるとは、薬の怖さなのか、4カ月の時間の機能低下なのか、これからどう立て直していけるのか (7月5日)


 「廃人というのは人に対して使っていい言葉じゃない」。妻は今、そう考えている。

2022.7.14~2023.7.5

コロナ禍の老健入院

 精神科病院を退院した夫は、介護老人保健施設(老健)に入った。当時は新型コロナウイルス感染拡大の真っただ中だった。


――お父さんがじっと座っていられない、動き回ってしまうから、接触を避けるのが難しいということでタブレット面会になった。お父さん体調良さそうで、笑顔も出る (22年7月14日)

――当分面会も叶(かな)わぬし、どうしているかも聞けぬ。間がどんどん広がっていく感じがする (同31日)

――PCR検査したら陽性だったけど無症状。個室に移した (8月16日)


 入院中も含め、別々の暮らしは半年に。妻の寂しさが募る。


――現在の状況がつかめないのでもやもやしている。今後を考えるのにも照準が定まらない。半年も部屋の中に閉じ込められている訳だから、認知機能の低下はどれくらいか。介護スタッフには十分わかっていることでも、家族は詳しく分かっていない。そこまで知らされない (同31日)

――お父さんがどうしているだろうと時々思い出しては涙が出る (9月1日)

――物事に心底からは前向きに進めない。手の届かない所に行ってしまったということで、精神の張りが失われたのではないか (同3日)

――お父さんがいないと寂しい。生きているかいがないと思えるほど。介護ロスか (10月2日)


 妻は、夫の精神科病院入院直前に知ったカフェに足しげく通っていた。認知症患者の家族らが集まる場所で、認知症の夫を介護する女性2人と出会い、そのつながりが支えになっていく。


――カフェでモーニングする。正月でデイサービスも休みで、2人ともご主人の介護で大変な思いをしていたらしい (23年1月7日)

――10時前にカフェに行き、2人とモーニング。公園の花見に行く。満開近くでちょうど良かった。3人一緒の写真を撮ってもらったからうれしい (3月24日)


 ただ、ふとした時に感じる寂しさが消えることはない。


――このところずーっとお父さんを思って泣いてばかりいるから、外へ出かけないとうつになってしまう。車と電車、バスで(愛知県)江南市の曼陀羅(まんだら)寺まで。藤の房は少し短いかな。でも、すばらしい。2人で来たかったなあ。2人で楽しむ時間はもう来ないのだろうか (4月24日)


 2023年5月のコロナ5類移行後、面会の制限が緩和された。夫と会える機会が徐々に増えた。妻の心は次第に落ち着いていった。


――お父さんの夏用靴下を購入した。老健にいては父の日も、誕生日も、プレゼントしようがない。靴下くらいしかない (6月20日)

――折紙人形を面会時に見せたら、ほーという感じで感心しているみたいだったけど、手にしているうちに口へ入れようとした。「食べ物じゃないよ、口で確かめているの」と聞いたら、笑っていた。まあ笑顔あれば良し (7月5日)

2023.9.10~2024.6.27

特養へ、そして今

 夫は2023年8月、特別養護老人ホーム(特養)へ移った。


――手を振ったら気づいて手招きの手をあげている。「おう、こっちだ、入って来いよ」という気配である。毎日面会しただけのことはあるように思う (23年9月10日)


 だが、穏やかな時間は長く続かなかった。


――お父さん午後3時ごろから不穏で困っているという。(1)つばをどこにでも吐く(2)机をたたく、物にあたり、壊しそうになる(3)歯ぎしりの音が大きい(4)車イスからずり落ちる(5)夜間眠れない時も (11月20日)


 つらい日々の中、妻はある夢を見る。「お父さん」の不在が身に染みる日々が続く。


――お父さんが退院して家に帰ってきて、朝起きたら自分で服を替えている。家の中を普通にスタスタと自由に歩いている。あれ、病気治ってしまっていると私もうれしくなっている。家の中明るい楽しい夢で目が覚めた (同25日)

――介護者の集いに出る。介護が終わった後について展望とかやりたいこととかあるかという話題になった。私は今、忙しく習い事とかしているのは好きなものというよりも、忙しくてないといたたまれないという精神状態かな。お父さんの存在が大きすぎて、いないのは楽しくない (12月16日)


 年が明け、施設の職員も夫の対応に困るようになり、夫はかつて入院していた精神科病院を再び受診。薬を増やすことになった。


――先生と相談。薬増量で決着。夜睡眠とらないなどでスタッフも疲労して限界になっている。2錠に増やしてもあまり効いていないので3錠に増量する。寝たきりになるかも。コミュニケーションとれなくなるかもしれないが覚悟してるより仕方ない (24年4月5日)


 夫は昼間も眠る時間が長くなってきた。それでも妻は特養に通い続ける。


――お父さん眠っていて起きない。夜も寝てるという。3錠続けてきて2カ月以上、効きすぎて傾眠になりかけているのではないか (6月15日)

――「父の日」だからミニ花束ラッピングを持参する。お花を見たけど、すぐかじりつきそうになった (同16日)


 夫の84歳の誕生日。特養の職員たちは、ささやかな誕生会を開いてくれた。


――ハッピーバースデーを歌ってくださって、お父さんは少し緊張しているみたい。うなぎちらしと煮物のお祝い膳にしてもらっている。私たちは玄関横の部屋でツーショットランチ。コロナ禍を過ぎてこんな素敵(すてき)な誕生会、最後のディナーならぬランチ(なのかもしれない)の感動は深く心奥にしまっておこう。最晩年の幸せな一時、ふつふつとうれしさがこみあげてくる。入所できて良かったね、お父さん (同27日)

見えない実態 経験が役に立てば

―妻が今、伝えたいこと

認知症の夫と面会した様子などを、自宅で日記に書く妻=愛知県内で

認知症の夫と面会した様子などを、自宅で日記に書く妻=愛知県内で

 日記を長年つけてきた妻(78)に、取材に応じてくれた思いや伝えたいことを聞いた。

 認知症のことを書いた本はたくさんありますが、症状がひどくなっていく具体的な過程はあまり触れられていません。精神科病院に入院した後の実態もよく見えない。今回の連載を通じて私たちの経験が少しでも役に立てばと思いました。


 認知症では「予防」がよく強調されますが、夫も予防に良いとされることは懸命にやりました。「予防が大事」と聞くたび、認知症になったのはこちらの落ち度と言われているように感じてしまうのです。努力すれば認知症にならないというわけではないと思います。


 介護をしている時は精神的に弱くもろい自分と、凜(りん)として対処しようとする自分のせめぎ合いです。支えてくれたのが同じ経験を持つ仲間。家族を介護する人が集まるカフェを通じて出会いましたが、もっとこうした場があればいいですね。悩みを相談できるスマートフォンのアプリの開発などデジタル技術も役立ちます。


 精神科病院への入院は他に選択肢がなく、やむを得ませんでした。ただ、もっと早い時期に受診して先生とコミュニケーションが取れていれば、とも思いました。


 夫は最近、眠っている時間が長くなりました。食べる量も減ってきています。みとりについて医療関係者に聞き、資料を読んで準備をしています。一瞬一瞬を大切に、少しでも心通う時間を過ごしたいと考えています。

取材=吉光慶太、横井武昭、梅田歳晴、斉藤和音
写真=今泉慶太、潟沼義樹、小沢徹、篠原麻希

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