玄宮園

江戸時代を代表する大名庭園の一つ玄宮園(げんきゅうえん)は、国の名勝に指定されている。彦根城下に広がる大きな池の周りを散策する「池泉(ちせん)回遊式庭園」で、彦根藩4代藩主の井伊直興(なおおき)が1679年に完成させた。池のほとりを歩くと、変化に富んだ景色が現れ、訪れた人をもてなす仕掛けが施されている。
藩主も眺めた
城と鶴亀

彦根城
玄宮園からは彦根城の壮大な石垣とその上に凜としてそびえる国宝の天守を眺められる。
名勝庭園と特別史跡の石垣、国宝天守を一望に収めた景観は、日本にあまたある庭園の中でも彦根の玄宮園のみが持つ特徴で、城と一体で造営された玄宮園の当初の作庭意図を現代の私たちに教えてくれる。
また彦根城を景色として取り込んでいるため、現代の建物が視界に入らず、江戸時代に大名が鑑賞していたそのままの景色を楽しめるのも魅力だ。
彦根城の壮大な石垣と天守
彦根城の壮大な石垣と天守
彦根城を借景とする玄宮園
彦根城を借景とする玄宮園
石組み
大名庭園の風格を感じさせる石組みが見どころ。中でも有名なのは、鶴の長い首を思わせる巨石だ。
鶴が戯れる水際を意味する「鶴鳴渚(かくめいなぎさ)」と呼ばれる池の中島にある巨石で、鶴が天に向かって一声をあげた姿を思わせる。
また池の護岸ではなく、池の中に多くの庭石があるのも特徴で、三つの庭石を組み合わせ、琵琶湖にある岩礁「沖の白石」を模した石組みもある。
江戸初期は大名が儒教などを熱心に漢籍で学んだ時代で、いい政治をすれば池の魚も躍って喜ぶという漢籍にちなんで、池の名前は「魚躍沼(ぎょやくしょう)」と名付けられた。
鶴が戯れる水際を意味する「鶴鳴渚」
鶴が戯れる水際を意味する「鶴鳴渚」
琵琶湖の岩礁「沖の白石」を模した、池の中にある石組み
琵琶湖の岩礁「沖の白石」を模した、池の中にある石組み
楽々園
槻御殿の書院から眺められる枯山水庭園が楽々園だ。江戸時代は滝から落ちる水で池が満たされていたが、明治時代以降に枯山水庭園となった。
人里離れた奥深い山を意味する「深山幽谷(しんざんゆうこく)」から流れ出した渓流がやがて激流となるさまを、角の鋭い立石を高い密度で配置して表現した。
滝つぼで水が泡立つ様子も、小さくて丸い栗石で表した。
水墨画の世界を再現したような石組みの石材は、もともとは約10キロ離れた曹洞宗の青岸寺(滋賀県米原市)にあったが、藩主の指示で彦根城に移された。
山の渓流が滝となって激しく流れ落ちる水墨画のような世界を再現した枯山水庭園
山の渓流が滝となって激しく流れ落ちる水墨画のような世界を再現した枯山水庭園
茶屋「鳳翔台」の外観
茶屋「鳳翔台」の外観
茶屋「鳳翔台」では茶を飲みながら回遊式庭園を眺めることができる
茶屋「鳳翔台」では茶を飲みながら回遊式庭園を眺めることができる
龍臥橋にある亀島。奥は鶴の長い首を思わせる巨石
龍臥橋にある亀島。奥は鶴の長い首を思わせる巨石
かつて五穀豊穣を祈った水田が復元されている
かつて五穀豊穣を祈った水田が復元されている
庭園の岩の上にたたずむ野鳥
庭園の岩の上にたたずむ野鳥
雪化粧した鶴鳴渚には、鶴石などの立石が組まれている
雪化粧した鶴鳴渚には、鶴石などの立石が組まれている
上空から見た玄宮園
上空から見た玄宮園
庭園内の石畳
庭園内の石畳
凸凹の激しい石畳をあえぎながら上り、ふらつく足で慎重に橋を渡る。建築家藤森照信氏の「大名庭園は歩くためのいわば大名の運動場。大名は、いざとなったら戦う武士だから」(「日本建築集中講義」)という説明がすっと腑(ふ)に落ちてきた。
彦根藩中興の祖と呼ばれる4代藩主井伊直興の治世に、下屋敷「槻(けやき)御殿」の後園としてつくられた池泉回遊式の玄宮園。庭づくりの核となっているのは、ここでもやはり神仙世界を象徴する鶴と亀だ。
魚躍沼と命名された池に架かる龍臥橋(りゅうがばし)の中ほどに置かれた亀島から、北の鶴鳴渚と呼ばれる中島を眺める。鶴の長い首を思わせる巨石が正面に端然と据えられている。そのそばで水鳥がさかんに水中のえさをついばもうとする姿に興がわいてくる。鶴鳴渚の北側に回り、船遊びのための船小屋があったあたりから渚越しに彦根城を眺めると、天守の白さがいっそう目の前に迫ってくるように感じられた。
園内には、領内の五穀豊穣(ほうじょう)を祈って藩主自らが田植え神事をしたという水田が復元されている。水田の南側の道では、かつて馬の駆け競(くら)べをしていたといい、まつりごとの多様さがこの庭に凝縮されている感がある。
すでに隠居していた11代藩主直中(なおなか)の十四男として、槻御殿で生まれ、幼少期を過ごした13代藩主直弼(なおすけ)は、鳳翔台(ほうしょうだい)などこの庭にあった四つの茶屋すべてを用いて茶会を催したという。彦根市観光文化戦略部の三尾(みお)次郎さんは茶会の意図の一つに「家臣との価値観の共有」があったと言う。
幕末の大悪人という直弼のイメージを覆した功で彦根市の名誉市民となっている舟橋聖一の小説「花の生涯」に、直弼が著した「茶湯一会集」が引用されている。「幾度、おなじ主客と交会するとも、今日の会に、ふたたびかえらざる事を思えば、実に我が一世一度の会なり」「退出の挨拶終(おわ)れば…亭主は猶更(なおさら)のこと、客の見えざるまでも見送るなり」
戦国時代とはまた異なるであろう「一期一会」のとらえ方。そのこまやかな心配りが、この庭に息づいている。
文・中山敬三
写真 動画・黒田淳一、板津亮兵

アクセス
滋賀県彦根市金亀町
【公共交通】
JR琵琶湖線「彦根」駅から徒歩15分
【自家用車】
名神高速道路「彦根IC」から車で15分
【開園時間】
午前8時30分~午後5時
【入園料】
一般400円
【問い合わせ】
0749-22-2742