旧林氏庭園

昭和初期に造られた庭は国登録記念物で、各地の銘石をふんだんに用い、手入れが行き届いた苔が見どころ。春はドウダンツツジのかれんな白い花が、秋はモミジの紅葉が美しい。林家は江戸時代に参勤交代の大名に随行する家臣らが宿泊した脇本陣を営んだ名家。
石と苔
目覚めの翠雨

苔の庭
庭にはふかふかした杉苔がじゅうたんのように広がる。梅雨の時季はしっとりと水気を含んだ苔が艶やかに輝く。
美しい苔は行き届いた管理のたまものだ。苔の上にマツの葉やモミジの種が落ちると、苔を傷つけないように柔らかい竹ぼうきで落ち葉を掃く。毎日、朝夕2回の水やりを欠かさない。
もともとは苔が多い庭ではなかったが、10年ほど前から一気に杉苔が広がった。
それまで繁茂していた庭木の剪定方法を、自然の樹形に近くなるように思い切ってすいたところ、日の光が枝木からこぼれ、地表に届きやすくなったためだ。
小さい庭だが、座敷から木曽川の堤防方向に庭を眺めると、実際よりも奥行きがあるように感じられる。
手前にドウダンツツジなどの低木を配し、後ろにケヤキやエノキなど背の高い木があることで、近いものは大きく、遠いものは小さく見える遠近法の視覚効果を取り入れている。
水気を含んだ苔が艶やかに輝く
水気を含んだ苔が艶やかに輝く
ふかふかの杉苔
ふかふかの杉苔
石の庭
庭には各地の銘石がふんだんにあり、石橋には赤茶色の「鞍馬石」が使われている。
石橋の両脇を固めるのは、京都・鴨川の上流で採れる「紅加茂石」。橋の奥には三重県鳥羽市の答志島から採れる「桃取(ももとり)石」を配した。いずれも今では採取が禁止された石ばかりだ。
石の庭は、昭和初期に10年の歳月をかけて作庭した10代目当主の林幸一のこだわりだ。
床に伏せっていた林だが、牛車に引かれて銘石が届くと、籐(とう)で編んだ寝台の上に乗せてもらい庭へ出て、石をどこに置くか庭師に指示を出したと伝えられる。
各地の銘石がふんだんに用いられている
各地の銘石がふんだんに用いられている
雨にぬれ、艶めく那智黒石
雨にぬれ、艶めく那智黒石
春と秋の彩り
庭園に春の訪れを告げるのがドウダンツツジだ。4月になると、つぼのような形をしたかれんな白い花が鈴なりに咲き連なる。
また11月から12月にかけてはモミジが見ごろを迎え、深紅や黄色に染まった紅葉を見ようと、見物客が詰めかける。
春の訪れを告げるドウダンツツジ
春の訪れを告げるドウダンツツジ
赤く染まったモミジ
赤く染まったモミジ
旧林家住宅の外観
旧林家住宅の外観
腰掛待合
腰掛待合
池に敷かれた那智黒石
池に敷かれた那智黒石
庭の守り人のように置かれた太秦型の燈籠
庭の守り人のように置かれた太秦型の燈籠
柄杓からこぼれ落ちる水滴
柄杓からこぼれ落ちる水滴
旧林家住宅の廊下
旧林家住宅の廊下
旧林家住宅から眺める庭園
旧林家住宅から眺める庭園
雨上がりの庭園。木々や苔がぬれ、庭に生気が漂う
雨上がりの庭園。木々や苔がぬれ、庭に生気が漂う
雨が庭の表情をこれほど変えるとは。日頃から丹精されてきた杉苔がさらに生気を増し、池に敷かれた那智黒石が艶めいている。飛び石として縦横に配された足元の鞍馬石も本来の赤茶色を取り戻し、自身の来歴を語りかけてくるかのようだ。
東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ脇街道である美濃路の宿場町・起(おこし)宿の脇本陣だった林氏の邸宅に昭和初期に造られた池泉庭園。当時の当主・林幸一は亡くなるまで庭の整備に心血を注いだ。その姿を娘の美智子さんは「病で動けなくなっても籐で編んだ寝台に乗りそれを担いでもらって、庭の細かい石組み、下草の植え替えなどを指示しておりました」と「思い出の記」に記している。
三重・答志島産の桃取石など、那智黒石を取り囲む石々にも雨が降り注ぐ。傍らの太秦(うずまさ)型の燈籠(とうろう)が、庭の守り人のようにも見える。近づいてのぞき込むと、火を点(とも)した跡が火袋に残っている。庭に点在する燈籠には、旅人の安全に心を配った先祖への思慕の念が込められているのではと、しばし空想の世界に遊んだ。
美濃路の四つの川には、将軍や朝鮮通信使が通行する際、船橋が架けられた。舟の前後に錨(いかり)を付けて並べ、その上に板を渡した。庭に隣接する一宮市尾西歴史民俗資料館の展示によると、全長900メートル近い起川(木曽川)の船橋は、通信使をも驚かせたという。
母屋の側から木曽川の方向を眺める。能舞台の鏡板に描かれる老松を思わせる庭のマツがひときわ存在感を放っている。世阿弥が田楽能を改作した「船橋」が思い浮かぶ。
熊野から美濃、尾張を通って、上野国(こうずけのくに)佐野に至った山伏の一行が、川のほとりで出会った男女から「いくら峰々を廻(めぐ)っても川の渡しを通らなければどこにも行けませんよ」と船橋造営の勧進をせがまれる。話を聴くうち、男が船橋を渡って逢瀬(おうせ)を重ねたため、女の親に橋板を外され、転落死したことが分かる。あとは、お決まりの回向と成仏。
「峰々廻りたまふとも、渡りを通らでは、いづくへ行かせたまふべき」。胸中でリフレインする謡の文句が雨音と重なり、心の渇きが癒やされていくかのようだった。
文・中山敬三
写真 動画・布藤哲矢、板津亮兵、白石亘

アクセス
愛知県一宮市起下町211
【公共交通】
JR東海道線「尾張一宮」駅または名鉄名古屋本線「名鉄一宮」駅下車、名鉄バス「起」下車、徒歩5分
【自家用車】
東海北陸自動車道「一宮西IC」から県道14号を北上し、「馬引横手」信号を左折、「起西茜屋」信号を過ぎ、歩道橋の下をくぐり次の交差点で左折
【開館時間】
午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
【休館日】
月曜日
【入館料】
無料
【問い合わせ】
0586-62-9711